昨日は久し振りに都内で仕事をする用事があった。
昔と違い、IT技術の発展のお陰で、場所が離れた部署との打ち合わせは基本的に職場からWeb会議で済ませる事が多くなった。
もちろん案件や内容によっては出向くこともあるが、やはり移動に掛かる時間は勿体無いし、コストも掛かる。
そんな中、昨日は中央区は新川にある相手先を訪問したついでに、ほんの少しだが空いた時間が出来たので散策してみたので書いてみよう。
新川の歴史
歴史について大きく分けると2つの側面がある。
一つは、酒問屋が多く集まって賑わってきた町。
その名残もあって、今でも日本酒類販売や日清オイリオといった企業がこの地に在している。
もう一つは、船関係だ。
明治時代、この辺りに汽船の発着所が置かれて、伊豆方面や房総への航路で栄えた。
周辺マップ。
右下に「船員教育発祥の地」と紹介されていた。
読んでみると、
大久保利通の命によって岩崎弥太郎が設立した「三菱商船学校」、それが後の東京海洋大学。
当時は隅田川に停めた船を校舎としていたらしい。
「隅田川テラス」から撮った一枚。
オフィスビルと高層マンションが立ち並ぶ現在。
街並みも綺麗で騒音もあまり感じない。自然も残っていて静かな街。
春は桜が綺麗らしい。
「中央商業学校発祥の地」
「中央商業学校」とは、1902(明治35)年に仏教学者の高楠順次郎によって創設された学校。
戦後「中央高等学校」となり, その商業科が「中央商業高等学校」として独立。
現在は、「中央学院大学中央高等学校」に改称し、2001(平成13)年に江東区亀戸に校舎を移転している。
ちなみに、箱根駅伝に出場する中央学院大学や中央学院高校(いずれも千葉県我孫子市)は兄弟校だ。
まとめ
おしゃれなカフェやレストランも紹介出来れば尚良かったのだが、今回は空きを見つけた僅か10分足らずのちょっとした散策程度。
時間は短いが、それでもこの町の歴史を垣間見る事が出来た。
高校時代は世界史ではなく日本史を専攻していた自分。
一番好きな時代は幕末。中でも薩摩藩士は鹿児島の血を引く自分としては好きな歴史上の人物達だ。
わずかではあるが、大久保利通の生き様にも触れられて良かった。
短い時間だとしても、短い距離だとしても、せっかく普段行かない様な場所に来たのなら散策してみるのも良い。
当時の船とはすっかり形を変えて宇宙船のようなデザインだが、船の往来は今も時代を超えて健在だ。
※大久保利通の出身である鹿児島関係の記事はこちら。